IDEスクエア

コラム

アジアトイレ紀行

第10回 中国──トイレから見える中国人の合理性

China:Toilet Shows the Chinese Rationality

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002000986

2024年5月
(4,584字)

トイレに関する現地語講座

例文
“卫生间堵了。” Wèi sheng jiān dŭ le. ウェイシェンジエン ドゥーラ  トイレが詰まりました。

頻出単語
堵了 dŭ le ドゥーラ  詰まった
手纸 shŏu zhĭ ショウジー  ちり紙(ひと昔前の言い方)
卫生纸 wèi sheng zhĭ ウェイシェンジー  トイレットペーパー

日本のトイレ、中国のトイレ

日本人が海外で最初に直面する困難は、トイレではないだろうか。日本のトイレは、トイレットペーパーや手洗い用のソープが完備され、便座は温かく、時にチャイルドシートや着替え台まで設けられている。最近では、駅構内の公衆トイレであってもメイク直し用のパウダールームが備え付けられているところも多く、用を足すだけではなく一息つくための施設となっている。

一方で、筆者が出会ってきた世界のトイレは、落ち着ける場所ではない。トイレットペーパーを流すことができず、それがゴミ箱に堆積し強烈な臭いを放っていたり、便座は冷たいばかりか盗まれたのか備え付けられていなかったりするなど、さまざまである。特に筆者の専門である中国では、便器ごとの壁や扉といった仕切りのないトイレ(通称、ニーハオ・トイレ)や、断崖絶壁に小屋を建て、その床に穴をあけただけの開放感のあるトイレなどに出会った。中国でトイレに行く場合、トイレットペーパーが備え付けられていないことが多いため、日本では見慣れない形をしたトイレットペーパーの携帯1は必須で(写真1)、強烈な臭いのため鏡で身だしなみを整える余裕はなく、いかに早くトイレから出るかが勝負となる。

写真1 中国の携帯型トイレットペーパー

写真1 中国の携帯型トイレットペーパー

このように比較すると、あたかも日本のトイレが「優れて」いて、世界のトイレが発展途上であると感じるかもしれない。しかし、日本人である筆者にとってはそうであっても、すべての人にとってそうであるとは一概には言えない。日本のトイレを体験した筆者の外国籍の友人のなかには、流せるトイレットペーパーは利用者にとっては便利である一方で配管の詰まりや水汚染の原因になるのではないかと疑問視した人や、多くの機能が備わっている反面さまざまなボタンがあることから水洗がどれかわかりにくかったという人、温かい便座は細菌が増殖しそうで気持ちが悪いと感じる人もいた。どのようなトイレが「良い」トイレかは、それぞれの人のバックグラウンドとなる文化や慣習によって異なるようである。

以下では、筆者が北京に留学していた際に出会ったトイレを題材に、中国人のトイレ観について考えていく。

綺麗に見えるトイレ、綺麗にしやすいトイレ

習近平政権が「トイレ革命」に乗り出したことを知っている読者も多いのではないだろうか。2012年に開催された中国共産党第18回全国代表大会(第18回党大会)以降、習近平政権は「トイレ問題は些細な問題ではない」「トイレ問題は大衆の生活の質に影響を与える弱点であり、それを補うよう努めなければならない」と強調してきた2。2015年には習近平が「トイレ革命」に関する重要指示を出し、「トイレ革命」を農村部まで拡大するよう求めた。習近平政権の「トイレ革命」の対象は主に農村地域にあり、都市部のトイレの整備はそれ以前から取り組まれていた。本連載第1回によれば、WTO(World Toilet Organization、世界トイレ機関)が2004年に北京で開催した第4回世界トイレ会議で、2008年の北京オリンピックに向けて都市部のトイレの整備が進められたという。

筆者が初めて北京を訪れたのは、都市部のトイレの整備が本格的に始まる少し前の2006年であった。当時は、北京市内にニーハオ・トイレが少なからず残されていた。誰かと一緒にニーハオ・トイレに入ることは憚られたことから、トイレを一人で使えるように友人と交代で外の見張りをしたことを覚えている。その後2010年に長期留学として北京を再訪した際は、思い出のニーハオ・トイレも一掃されており、一人でもトイレを臆せず使えるようになった。

ただ、整備された後のトイレであっても、筆者にとって問題がないわけではなかった。例えば、中国のトイレは日本の和式トイレに近い形をしたものがあり(写真2)、ドーム型の金隠しがなく平らで、足置き場が設けられている。日本では和式の場合、洋式のトイレと比べて床面の汚れに不快感を持つことは多いが、金隠しのない中国のトイレの床面の汚れは日本の和式トイレの比ではない。和式トイレの場合、諸説あるものの金隠しに向かって用を足すことが一般的で、金隠しは跳ね返りや水洗の際の飛び散りを防ぐ機能を持つという。それが無い中国のトイレの床面はさまざまな液体でびちゃびちゃであることが多い。その状態のトイレに土足で入ることで、靴裏の泥がトイレの縁に設けられた足置き場を汚すことになる。

写真2 中国の公衆トイレ

写真2 中国の公衆トイレ

そのため、筆者は中国で恐る恐るトイレの扉を開けて床面チェックをするのだが、日本のトイレのような衛生管理や、金隠しのような汚れを防止する策が取られていることはほとんどないことから、中国のトイレの床面は水気や泥(だと信じたい)茶色の物質でひどく汚れている。しかし、ふと考えると、日本の和式トイレと中国のトイレのどちらが衛生的なのか疑問が残る。掃除のしやすさを考えると、中国のトイレに軍配が上がる。水をかけて、モップでその水を掻き出せばよい。金隠しは汚れを隠してくれる一方で、ドームの裏側は掃除しにくい。中国では、現在でも田舎にある古いホテルに宿泊するとシャワールームとトイレが地続きになっているところがある3。これは、衛生的なトイレを保つためには、シャワーでトイレの汚れを洗い流すことが合理的で、簡単であるからかもしれない。このような慣習から、中国のトイレも今のような便座の形になったと推察する。2008年の北京オリンピックの際に、トイレに多くの清掃員が配備されたように、トイレは汚れるものであるという前提から、金隠しのように汚れを見せないようにするという見かけの綺麗さよりも掃除をしやすくすることによって衛生面を保つという合理性を追求する点に中国らしさを感じる。

北京での衝撃的なトイレ体験

北京に長期留学をしていた2010~2011年の間に経験した最も衝撃的な出来事もトイレに関することであった。北京留学中は、できる限り効率的に語学を習得するため、日本語を学んでいる中国人学生と相互学習を行っていた。相互学習を行う場所は決まって北京大学構内の食堂の隣にあるParadiso Coffeeという名前のカフェであった。広大な敷地面積を持つ北京大学のちょうど真ん中に位置しているParadiso Coffeeは、多くの学生が利用しており、日中は大変賑わっている。

授業後の午後に相互学習相手とParadiso Coffeeで落ち合い、会話をするのが筆者の日常であった。相互学習相手と日々の出来事を中国語や日本語あるいは筆談でやり取りすることはとても楽しく、あっという間に時間が過ぎる。時間が過ぎるということは、カフェインの利尿作用も相まって、当然トイレに行きたくなる。そして、そこのトイレの個室に入り、用を足す体勢になると、目の前の壁に衝撃的な注意書きが張り出されていることに気づいた。

そこには、ずいぶん前から張り出されていたことを感じさせる年季の入った紙に、マジックで乱雑に「禁止大便(訳:大便禁止)」と書かれていた。幸い、筆者はそのルールを犯さずにこのトイレを後にしたが、これまで何人がこの張り紙に絶望を感じたのかと考えると居たたまれない。そして、このようなトイレは決してParadiso Coffeeだけではない。北京大学東門から五道口に向かう成府路に日本の漫画を取り揃えた喫茶店があった。その店舗内のトイレにもParadiso Coffeeのトイレと同様の位置に「不可以大便(訳:大便禁止)」という注意書きが張り出されていた。このような張り紙を見るにつけ、店側の都合によって生理現象を禁止されることがあっていいのか、と憤りを覚えた。

ただ、その後北京大学構内のトイレや五道口付近のカフェに行きトイレを利用するようになり、筆者は「大便禁止」という張り紙の意味を徐々に分かるようになった。中国のトイレは、トイレットペーパーを流さず、便器横のごみ箱に捨てるのが一般的である。トイレットペーパーが水溶性ではないことと、トイレの水圧が弱く配管などを詰まらせる原因になるからだという。水圧に関していえば、洋式のトイレだとすると、場所によっては便器内の水面がゆらりと揺れる程度であった。このことから、一見おしゃれなカフェであっても、そこのトイレで用を足した後に流すことができず、利用者が個室に立てこもり長蛇の列ができることや、流すことを次の利用者に託す(=放置)ことが起こる。放置された現場に居合わせた筆者は、さくらももこのエッセイ『あのころ』に書かれているような絶望と恐怖を感じた(さくら1996)。ここでいう恐怖とは、何事もなかったようにトイレを出たとしても、次の利用者に自分がトイレを汚した当事者ではないかと誤解を受けることである。そこで、このような事態を回避するため、事前に「大便禁止」の注意書きを張り出しているのかもしれない。注意書きを張り出した側からすると、「大便禁止」は「トイレの水圧が弱いため、次の利用者の快適さを考慮してください」ということなのだろう。婉曲表現が多用される日本語を母語とする筆者にとって、「大便禁止」という言葉は非常に衝撃的であったものの、裏表がない性格で合理性を追求する中国人の国民性が垣間見える表現であるようにも感じる。

中国のトイレは変わるのか?

長期留学から帰国し暫くして、友人から北京大学に数カ月滞在するため、大学近郊の情報を教えてほしいという連絡を貰った。筆者は、北京大学から自転車圏内で行くことができる中関村や五道口周辺のおすすめの場所を地図に書き込み、友人に渡した。すると友人から、これはトイレマップだという指摘を受けた。筆者は気づかぬうちにおすすめのカフェやレストランの情報だけでなく、トイレの状況を書き入れていた。例えば、「このレストランは、コスパは良いが、トイレの水の流れは悪くいまいち」「このカフェの雰囲気は良いが、トイレは使えないため長居ができない」「北京大学構内のこのトイレは利用者が少なく比較的綺麗」などである。友人からの指摘を受け、改めて筆者にとってトイレの存在の大きさに気付かされた。

そんなトイレマップも今の中国には必要ないかもしれない。本稿執筆のため中国にいる数人の友人に聞き取りを行ったところ、中国のトイレが劇的に変わっていることを知った。新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、深圳などの大都市を中心として、トイレごとに手洗い用のソープやトイレットペーパーが備え付けられるようになってきたという。便器の形についても、洋式が主流になってきたようだ。

筆者は2019年以降、新型コロナウイルス感染症やさまざまな外部要因も相まって、中国への渡航が叶っていない。筆者は、いまだに2011年に作成したトイレマップを握りしめているのだが、次の渡航が叶う日が来たら、中国の変/不変を体感し、トイレマップの改訂に乗り出せればと思う。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • すべて筆者友人が撮影
参考文献
  • さくらももこ(1996)『あのころ』集英社。
著者プロフィール

内藤寛子(ないとうひろこ) アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ研究員。博士(政策・メディア)。専門は比較政治学、現代中国政治。おもな著作に、State Capacity Building in Contemporary China, Springer(Vida Machikenaite と共編、2020)、「1980年代後半の行政訴訟法の制定過程における中国共産党の論理──体制内エリートの統制と人民法院の『民主的な』機能」(『アジア研究』第67巻第3号、1‐18頁、2021年)、「(中国共産党第20回党大会特集)第1回 第20回党大会の注目点」(『IDEスクエア』2022年9月)など。


  1. このトイレットペーパーはナプキンとして売り出されているが、これをトイレットペーパーとしても使用する。
  2. 趙永新「“厠所革命”是一項系統工程」『人民網』2020年1月6日。
  3. ただし、現在では都市部にあるホテルのトイレのほとんどは洋式であり、洋式トイレとシャワーが隣り合っていることが多い。